Fを辞めてスポーツを作り始めた話

こんにちは。izumi です。
この記事は、楽しかった職場 みんなのF2 Advent Calendar 2018 の13日目の記事です。

富士通系列のグループ会社に勤めて7年弱、辞めてからは丸3年ほどになりました。

Fの頃の話

カレンダーのタイトルがF2とぼかしているのにみなさんちゃんと社名を書いてましたね…。
特に隠すつもりはないですが母体ではなくグループ会社のひとつです。09年入社でした。

初期

高卒でした。同期は36人、うち高卒は4人でした。
みなさんご存知の通り、Fの給料体系では高卒で入社するのは賃金面で非常に不利なスタートとなります。辞めた理由は賃金ではありませんが、空気的に高卒で管理職になれる感じではなかったので、結婚する(扶養等の補助が出る)までは辛い感じになるだろうなと思っていました。

大卒と同じ年齢になるまで、つまり4年間は社外の常駐・出向はありませんでした。 このありがたい期間で、少なくともJava6系のプロフェッショナルにはなれたと思います。 素人からプロまでが書いたN万ステップというJavaコードをエラーなくパースし、バグを孕みそうな怪しいコードを指摘するツールを作っていました。yaccからバイトコード解析までを駆使し、少なくとも6系までの文法にはめっぽう詳しくなりました。

印象にあるのをひとつ紹介すると以下のようなもので、これはhttp:までがラベルで//以降がコメントになるのでコンパイルが通ります。

class Hoge{
    public static void main(String[] args){
        http://www.google.co.jp/
    }
}

Javaはswitch節以外でもラベルが記述できます。gotoはありませんが、実はラベルだけの記述は有効です。
なにぶんJava6の頃の話なので今はもっと詳しい方がおりましょうが、当時初めて見たときは感心しました。

上記のような例は稀ですが、なんでそうなるんだみたいな冗長味あふれるコードから、いわゆるコードゴルフのようなものまで、あらゆるコードを眺めていたと思います。教科書的なコードでないものを眺めるのはとても面白かった覚えがあります。

後期

4年経つと、客先への応援などに行くことが増えてきました。

転機となったのは、川崎への転勤でした。Fで川崎というと中原あたりのイメージがありますが、川崎駅でした。川崎にはなんだかすごい大きいプロジェクト(青い銀行ではありません)に関わるんだよと言われて行きましたが、その実はFMCSから降ってくる仕事をパートナー会社に振る仕事でした。

マネジメントは苦手でした。当然ながら、今まで自分でコードを書いていた人が急に人を使えるようになるわけないですし、人を使うにはやっぱりそれなりのスキルが必要なわけです。自分が22歳とかなので下につく人はだいたい年上で、これがさらに政治的な難しさを生み出していました。

あまり愚痴愚痴するのは健康上よろしくないのでこのくらいにしますが、結論からいうと川崎で1年ほど頑張った後は4ヶ月ほど休職をしました。
休職中はいろいろと遊び歩きました。とはいえ辞めることは考えていなかったので、積極的に転職活動などをしていたわけではなかったのですが、古い友人に会って懐かしい話をしたり、新しい友人を作ろうと(酒が飲めないのに)行きつけのバーを作ったりしているうちに、会う人会う人みんな面白いことをしてるな、それに比べて自分の普段の生活がなんと起伏のないことか、という思いが強くなっていきました。

そして復職し、またさらに別の部署で1年ほど働きましたが、結局あまり面白くなくてFは辞めてしまいました。

転職後の話

休職中に遊び歩いていた時に声をかけてもらった株式会社meleapにjoinしました。
当時はまだ僕が6人目のとても小さいベンチャーでした。入った理由は面白そうだったからです。

現在でこそ社員は多いですが、私が入社した当時、meleapの50%は元F2社員が占めていました。(6人中3人が元F2)
さらに8人目が元F2だったために(僕の紹介)、かなりF2の血が濃い時期が続きました。
ベンチャーの初期は紹介が多いのでこうなりやすいですね。

HADO

さて、弊社meleapでは、テクノスポーツ「HADO」を作っています。
どういったものなのかはサイトや動画を見てもらったほうが早いと思います。

meleap.com

www.youtube.com

テクノロジーとスポーツを掛け合わせた、新時代のスポーツ、それがテクノスポーツ「HADO」です。

やってること

開発はもちろんします。
Unityを使っているのでC#を覚える必要がありましたが、だいたいJavaだったので苦労なく移行できました。

一風変わった職務として、公式試合の解説業みたいなこともやっています。
スポーツなので当然試合があり、その選手がいるわけですが、彼らを通してHADOの魅力を伝えられるように頑張って喋っています。

あとは海外に営業に行ったり、プロモのために写真を撮ったり、動画を編集したり、時にはWebページを作ったり…、少なくともF2にいたらなかなか経験できないようないろんなことを仕事でやってます。
いろいろやりすぎてエンジニアとは一体...というくらいエンジニアリング以外のこともやっていますが、そのすべてが楽しい。やれることはなんでもやる。それがスタートアップメンバーの責務でした。

まぁでも、お賃金がいいので、頭と手が人並みに動くうちはエンジニアメインで食っていこうと思っています。

F2を辞めて

まぁなんとかなります。

僕はあんまりエンジニアとして成長しないから…とかいう理由ではなくて、ただ単に大企業はつまらんな(筆者の主観です)という理由で辞めたに過ぎません。実際、転職してエンジニアとして成長してるかというと果てしなく微妙です。

ただ、大企業だとなかなか部署異動というのもなくて人間関係が凝り固まっていて、やっぱりそういうのって良くないなと思って遊び歩き、世界って広いなと感じたところがこんな会社に入ったきっかけです。
頭のおかしい社長が無限に魔法を使いたいと言っているだけの、特段売上のあるコンテンツを持っているわけでもないベンチャーにjoinするというのは、今思えば相当なチャレンジだったと思います。

今となっては社員も40人を超え、シリーズB資金調達も終了し、まだなんとか楽しくやれています。ヒィヒィ言いながら売れるコンテンツを作ってきた3年間は、少なくとも面白いものだったと思います。

この先は何も考えていません。
まぁ、人生のロードマップがちゃんとしてたら、こんな会社には入っていなかったでしょう。
会社があと何年続くのか、それともIPOなのかバイアウトか、ちゃんとイグジットできるのかも分かりません。

でもたぶん、この先も、その時自分が楽しいなと思うことをやっていると思います。