弟の結婚式に参加した感想と、弟たちへのラブレターのようなもの

弟の結婚式に参加したのは今回で2回目である。

「弟の結婚式に参加したのが2回目」ということは少なくとも2人以上の弟が存在しさらにそのどちらかが既に結婚している必要があるが、今回こそがその類稀なる状況に置かれた例、ということだ。

ウチはすべて男の3兄弟ということであるから、ゆえに自分が長兄であり、そして今回の結婚式を機についに兄弟中で独身が自分だけになったということの証でもある。まぁこのあたりはどうでもいい

映像とカメラの話

ところで、少しパソコンが触れたり、カメラが趣味だったりすると、友人が結婚をする際には色々頼まれることが少なくない。パソコンが触れるだけで別に映像を作れるわけではないのにプロフィールムービーみたいなのが作れないか、とか、いいカメラ持ってるなら写真を撮ってくれないか、とか。実際今でこそ映像編集は(それなりに)できるが、最初に友人に結婚式の映像を頼まれたときは全くの素人であったから、映像編集を1から勉強するところから始まり、かなり時間を掛けて(今となっては)大したことないものを作った。多少のお気持ちは貰ったが、こちらは祝儀も渡してるし収支だけ見ればマイナスである。しかし収支だけ見ているようでは視野が狭い。彼のおかげで、自分はPremiereを使った映像編集できるようになったのだ。この経験は実際その後の自分の生活に活きているし、手に職がついたということだ。

カメラに関しても、普通に考えれば本体+レンズで50〜60万もするカメラなんて一般の人は持っていないのだ。頼みたくなる気持ちもよく分かる。こちらとしては自分の撮影スキルが上がればいいと思っているし、基本的には無編集で撮ったものをすべて渡す、いわゆる撮って出しなので、特にその後の時間は取られない。自分で気に入った写真があればLightroomでトーンをいじったりするが、このあたりは自分がやりたいからやるだけだ。

写真は、その成果に金銭を貰わないことも多い。金銭を貰うと責任が発生するから、個人的にはそのほうがいい。そしてカメラマンの仕事で結婚式場が最も難しいと言われているように、やり直しの効かない結婚式での撮影は、期待されるとかなりやりづらい。言い方は悪いがタダ働きのほうが適当で無責任に撮れるし、結果、余計な力が入らず自然な写真が取れたりする。まぁ、そういうのは1/1000枚くらいだが。これが職業カメラマンとなるときっと割合が上がるのだろう。こっちは素人だから、このくらいがやりやすい。場数だけは踏んでいるから、それなりの写真は撮れるようになってきたかもしれない。自分のスキルが低くても、カメラが高いから、それなりの写真が撮れる。顔が見えない、それなりのやつを記念に貼っておこう。

f:id:izugch73:20210523133932j:plain:w500 今回のやつ

f:id:izugch73:20210523134213j:plain:w500 3年くらい前のやつ


弟の話

冒頭2人の弟がいるという話をしたが、今回は次男、真ん中の結婚式であった。

一番下、三男が一番結婚が早かった。いわゆるマイヤンであり、田舎の彼らは本当になんでもやることが早い。子供もいる(自分から見て甥)し、家も買った。まだ20代半ばなのに、ローカルではそういうのがステータスだから、若いうちにそういうことができるのはデキルヤツの証なのだ。地元から出ていないから、結婚に参列する友人も多く、新郎両親がかなりたくさんの挨拶回りをさせられていたのを思い出す。三男は勉強は得意な方ではないが、とにかく交友関係だけは広かった。長男次男はそういうのが苦手なので、羨ましいと思っていたと思う(自分はそう思っている)。頭の決して良くない高校で野球部をやっていたから相当なバカだが、それを支えるしっかりした嫁さんを見つけたと思う。

これはよくする冗談の一つだが、1人目が生まれたときはみんなで大事にするからちやほやされるが、3人目ともなれば子育ても手が回らなくなってくるものだ。具体的には公園などでの砂場の扱いで、第一子は変なものを口に入れないように常に面倒を見ていたが、3人目ともなると基本的には砂場に放置で、砂を口に入れて泣き出してからようやく相手を始めるというものだ。ごもっとも、そりゃ三男のほうが丈夫に育つだろう。結果、間違いなく一番丈夫だ。おかげで第一子はやることなすこと誰かが面倒を見てくれるものだと思って甘えて育ち、実はそうではないということを社会で知ることになる。

で、次男となると、これまた本当に我々の兄弟なのかというほど出で立ちも違えば、性格も異なるタイプだ。背が高い。ハーフのような顔つき。勉強もできる(少なくとも三男に比べれば。俺と比べると…勉強はできると思うが、回転は俺のほうがいいと思う)。ただ奥手ではあると思うし、よく比較するが三男とは正反対だと思う。俺と反対と言ってもいい。自分から行動できないタイプの、典型的な今どきの若者だと思っていた。

そんな彼でもお付き合いする相手はいた。というか、我々の中では少なくとも見た目だけはいいから、自分から行かなくても人生には困らないだろうなと思っていた。ただ変な娘に捕まってしまったら断ることができないだろうとも思っていた。これは彼の性格的な問題もあるし、大学が地方だったから高卒後は会う機会もあまり無く、(俺が)その後の彼の性格の変遷をよくわかってないことも問題だった。


だから、今回の結婚式で新郎としてちゃんと振る舞っているのを見て、本当に凄いなと思った。


三男はバカだが、バカなりにうまくやってきた。助けてくれる友達もたくさんいたし、いい嫁さんもいる。

でも次男は?正直なところよくわからなかった。最後にしっかりと会ったのは大学前つまり18の頃だし、社会にも出ていないと人間としてはまだまだ未熟だ。直接話すこともあまりないし、今どこに住んでるのかと言われたら実際回答に自信ない。兄弟とはいえそんなものだ。だから俺の中ではまだ「子供」だったし、「なんかちょっと不安な弟」のままだった。

そうはいっても、新郎という立場上、式や披露宴ではしっかりと責任を持って準備して、ゲストを饗す振る舞いをしないといけない。友人はもちろん会社の上司だって来るし、相手方の親族への対応なんてなおさらだ。できるか?俺はできないと思う。自信ないもの。誰しも自信あるものではないだろうけど、人生に一度の大舞台で、立派に振る舞うのは簡単なようで相当難しいだろう。

俺はオープニングムービーを作っているから、それに関する話はしていたが、それ以外は宿泊先のホテルすらギリギリまで良くわかってなかった。これは俺が悪い説もあるが…。まあ、ムービーの話し合いも含め、いろいろギリギリではあるなと感じていた。大丈夫か?無事に式を終えられるのか?最後に見た次男はそういうことができる人間ではないように見えていたから、やっぱり心配ではあった。というか、弟だし、兄としては普通に心配である。でも俺もそんなに自分から行くタイプではない、というか、身内から毎日のように大丈夫なのか?滞りはないのか?と聞きまくるのもきっとウザいだろうという思いから、身内のことを信用して自分のできることで協力するしかなかったのだ。

次男もあまり友だちが多い方ではないと思っていて、それは披露宴の「新郎友人」枠を見るとだいたい分かる。決して少なくはないとは思うが、ということは三男に比べれば用意されている席の数は少ない。こういうところもやっぱり心配ではある。大学でうまく友達を作れなかったんだろうか。あまり楽しくない4年間だったんだろうか。自分が高卒だから(大学は勉強するところだと思っていたから、勉強はしたくなくて高卒を採っている富士通に行った)そのあたりの苦労はよくわからないし、ザ・ジモティーマイヤンの三男も大学行ってないから兄弟に大学に関する相談できる人間がいなくて寂しい思いをしていたんじゃなかろうかとか想像してしまう。その実「友人一覧」となる披露宴の席次は、明日は我が身である。


果たして、心配は無用であった。嫁と知り合ったのも大学時のバイト先だったそうだ。これは彼の大学生活が幸せだったことの証明であり、式が滞りなく終了したということは、その準備が周到に行われていたことを示している。

嫁側から見たら、新郎家長兄を名乗ってクインテットのアキラさんみたいなのが出てきたらちょっと引くだろう、そういう意味では俺の準備不足はあった(黒に染め忘れた)。これは申し訳なかった。
ただまあそれ以外、本当に恙無く、すべてが無事に終わったようであった。コロナ禍と叫ばれる中、結婚式を本当に開催すべきなのか、相当悩みに悩んだと思う。都会に住んでいる我々こそもはや慣れた環境であるが、地方はいまだにピリピリしている。彼の言葉にあったように、悩んだ結果、開催してよかったと心から思える内容だ。内容ではあった。だが、それは今後2週間、参加者が無事に過ごせてから正確になるとも言える。親族は地方と地方であるから、キャリアとなるなら一部の俺含む感染爆発地域からの参加者だろう。祈ってどうこうなるものでもないが、本来の意味で何事もなく終わったと言えるようになることを望んでやまない。

次男の成長という意味でいうと感動ポイントはいくつかあるが、やはりというか、式の最後にある新郎からゲストへの挨拶は本当に良かった。性格もあってもともとキチッと筋道立てて決めたことはやるタイプではあったが、嫁両親への「今まで(嫁を)育ててくれてありがとうございます、これからは僕が責任を持って幸せにします」みたいな台詞は、実際相当な覚悟がないと言えないし、俺はまだ言えないだろう(だからまだ独身なのだ)。三男も似たようなことを言った。結婚するということは、そういうことなのだ。そういう意味では、三兄弟の長兄である俺が一番未熟なのだ。今回はっきりそれがわかった。もちろん、婿が嫁を100%養うという意味ではなく、実際には二人協力して生きていくというのが実情であろうが、新郎として、しかし新婦両親への挨拶としては、これ以上に聞いていて安心する言葉はないだろう。形式といえば形式であるが、その言葉を紡ぎ出すには、相応の自信と、勇気と、覚悟が必要だと感じたし、それをあの聴衆の場で宣言するということが大事なのだ。

細かいところでいうと、車の運転ができるようになっていたとかもそうだ。最後に暮らしていた大学前、つまり18歳の頃は、免許が取りたてであったから、車庫入れに相当苦労していた。一緒に乗ってて命の危険を感じたくらいだった。それが今住んでいる場所は車が必須であるから、もはや都心に住む俺より圧倒的に走行距離は長いだろう。関東住みの友人や同僚のなかでは運転技術には自信があるほうではあるが、そこには兄より優れた弟が存在しているのだ。


兄として

そしてめでたく、三兄弟の中で長兄だけが独身と相成った。

都心に住んでいると、結婚が30代40代なのは至って普通であり、あまり焦る感じはしていない。弟たちが結婚したおかげで、親からせっつかれることもなくなった。それよりも自分にとって、一緒にいて楽しい、まあ楽しいというよりは安心できるとかのほうがいいかなと思っているが、時間を掛けてそういったパートナーを探していく時間はある。

ただまあ俺が田舎の長男だったりすることから、そういうのをあまり気にしない相手を探さなければいけないなと思う一方で、2人結婚したし名字は後世に残るだろうから、俺はもういっそ全然自由に生きていてもいいかなとも思い直したのも事実だ。結婚式で幸せな気分になるというのは間違いないが、だからといって自分が結婚したわけではないし、自分の身の振り方は自分で考えないといけない。俺は人に映像を作ってあげたり、写真を撮ってあげたり、他人を乗せてバスを運転したり、自分で能力を高めて、その力で誰かになにかをして、感謝されるもしくは一緒に楽しむほうがきっと性に合っているのだろう。もちろん映像編集やバス運転手などそれを職業として金を取る方法もあるが、そこまでギリギリ行かない趣味のラインで、他人の人生に影響していくくらいがいいのかもしれない。自己犠牲野郎だ。そういった生き方も悪くないとは思っている。


いろいろ言ったが、めでたい日であったことには間違いない。次男が縁の同僚もいれば、いまもMHRで遊ぶ次男の友人もいる。自慢の弟(達)であり、自分が彼らの兄であることは誇らしい。自分が兄として彼らにいい影響を与えられてきたかどうかは分からないが、できてないならこれからすればいいだけの話であり、そのために兄として今から準備をしておけばいいだけの話だ。これからでも十分間に合うだろう。

なぜなら俺たちは死ぬまで兄弟であり、死んでも俺たちは兄弟なのだ。


結婚、本当におめでとう。
君たちが幸せになることが、兄としての幸せです。


P.S.
新札を用意し忘れて祝儀を出してないので、あとでLINE Payで送ります。